「補正可能時代」の収録ボーカリストが知るべきこと
今世紀初頭より、ボーカル演奏のアラを修正するためのツールが音楽制作の現場で常用されるようになりました。以降、同目的のツールは進歩を続け、いまや多くのDAWに付属されています。
しかし、演奏に関わる要素の中には、これらツールで修正できるものと、そうでないものがあります。どうせスキル不足により完璧な演奏が望めないなら、補正不可能なポイントを重点的に練習し、また演奏時には優先して押え、編集で直せるものは直すと開きなおるのも、よりよい録音物を作るための有効な手段かも知れません。
また、これは演奏者だけでなく編集サイドにも重要なことですが、逆にそれらのポイントを押えないまま正確なピッチ、正確なタイミングに固執する補正を行った結果、矛盾する要素がトラック内に混在し、聞く人が聞けばスグに(悪い意味で)人間離れして聴こえることもあります。実際、有線放送でもそのような歌をよく耳にします。このような落とし穴は「不気味の谷への入り口」として紹介します。
「不気味の谷」は元々はロボット工学の分野に用いられた用語で、要するに限りなく人間に近いロボットほど、本物とのわずかな差異が違和感を感じさせる、というお話です。近年の女性を模したロボットや、CGで描かれた人間にこのような感じを覚えたことのある方もいらっしゃるかと思います。これと同じことが歌声にも起こると、私は考えます。
極端に人間離れした、もはやギミックともいえる加工よりも、ちょっとだけ不自然な方が奇妙に聴こえるものです。
メジャー・デビュー直後のPerfumeぐらい思い切ると「ロボット・ボイス」として楽しめるものの、二番煎じ、三番煎じの中には本家に遠慮したのか加工の程度が中途半端であったため、不気味の谷に転落したケースもあったように思います。
以下は、編集する側の人間にとっては当たり前、あるいは「言われてみれば…」な話ばかりかもしれません。エンジニアリングは解らないけど演奏や収録を楽しんでいる、という方には新鮮な話もあるのではないかと思います。
編集で補正できるもの
音程
いじる要素としてはド定番ですね。
どの程度まで音程を変えられるかは、声質や歌唱法によって異なり一概にはいえませんが、イケるときは案外イケるものです。一般に、澄んだ声ほど自然に動かせる範囲が広く、逆にノイズ成分の多いウィスパー・ボイス、しゃがれ声などは可動域が狭いように思います。(やや専門的な話ですが、非倍音成分の扱いに困るのはどのDSP技術も同じかなぁという印象)
タイミング
発音タイミングの悪さだけでなく、グルーヴ/ノリもある程度は修正可能です。
たとえば、モッサリした音の長さを少し縮めて軽快にすることもできます。(自然に行える範囲はけっこう限られますが)
音量の大小
単純な音量の大小です。これは専用ツールで行う修正だけでなく、ミックス時におけるボリューム/ダイナミクス操作も含みます。
後述する「声量感の強弱」とはまったく異なるので注意が必要です。
ビブラートの振幅
すでに収録されたビブラートの振幅は、ある程度自然に増減できます。
極端に広いものを平らにならしたり、無から作り出すことは困難です。
編集で補正できないもの
滑舌(かつぜつ)の悪さ
滑舌の悪さはどうにもなりません。
EQ、ボリューム調整などで埋もれた音を前面に出すことはできますが、これは明瞭さや力強さとは異なります。
ヘニャヘニャした声はどうやってもパーカッシヴにできないことを思えば、発音が悪いために失われたグルーヴ感は、いくらタイミングをかっちり合わせたところで取り戻せないことは想像に難くないかと思います。とかちつくちて。
滑舌の悪さは、ともすればそれ自体が技量の弱さを聴者に知覚させます。そのわりにタイミングが正確過ぎると、アンバランスな感じが聴者に対し、無意識のレベルでは奇妙さを感じさせ、また意識的なレベルで「あぁ編集しているなァ」と思わせます。
声量感の強弱
音量ではなく、声の張り具合やノドの開き具合など、いわば音が持つ「テンション」に繋がるニュアンスの強弱です。ボソボソした声は、煮ても焼いてもシャウトにはなりません。その逆も然り、です。
また、これが不自然に変化する(必然性なく変わる)と旋律がスムーズに流れず、場合によっては一本調子の歌よりも下手に聴こえます。
先の滑舌v.s.タイミングの話と同様、一本調子、あるいは必然性なく張りの強弱が変化する演奏は、それ自体が「そもそも歌が達者ではない」ことを聞き手に知覚させるヒントになります。そのくせ音程や発音のタイミングだけは補正の結果バッチリ合っていたりすると、いかにも修正したような歌になります。
個人的には、これを「生歌がボカロ調教以上にボカロっぽくなる瞬間」と呼んでいます。
ここの理解が足りず損をする例として何度か目にしているのが、以下のようなケースです。
- 遥か遠くで歌っている場面を演出しようとして、ボソボソと小声で歌う。
- バックコーラス(「アー」とか「ウー」)がフェードインするのを下手に演出しようとして、アタックが弱々しくなる。
いずれのケースも、仮歌デモのアレンジ演出に歌手が従った(つもり)の結果、収録されたのは、声に芯のない、タダのひょろい歌声でした。おそらく声に芯を残したまま、マイクとの距離を変えるなり、ミックス時のレベル/EQ操作に委ねれば結果は何倍もよくなったと思います。また、それを指示できるエンジニアなりディレクターがいなかったのも残念です。
また声量感の「フレーズ中の変化」、これもまた補正はできません。
上手な人は、声の張り具合、喉の開き具合のバリエーションが無限大にあり、旋律や歌詞に沿って、適宜流れるように変化させ、細かいニュアンスを伝えるとともに聴者を飽きさせません。元々日本語歌唱では比較的求められることのない要素ではありますが、日本人による英語カバーなどでこの要素がゴッソリ削ぎ落とされる点が、英語の発音云々と同程度かむしろそれ以上に、残念な結果につながることが多いように感じます。
日本語詞でも、上手な人がフレーズの頭をしゃくり上げる場合、音程だけでなくアタックや張りも自然に変化します。これを理解していないがために、修正の結果「音程はしゃくり上げているのに声の張り具合は一本調子」というのも、聴者に奇妙な印象を与える「不気味の谷ポイント」です。
ハイトーンは決まって張り上げるべきもの、とは思いませんが、曲中で声域が変わると大抵の歌手では体の使い方、声の倍音構成が変化するものです。オクターブ、あるいはそれ以上跳躍する(音程が移動する)のにまったく声質が変わらない作品を耳にすると「この歌手は一体どんな表情で歌っているのだろう?」とスタジオの風景を想像してしまいます。
たとえば走り幅跳びの選手が、軽いジョグ程度の助走でいきなり10mほど飛んだら、感心する以前にまずは違和感を覚えませんか?
ビブラートの周期
音の中でどの辺りからビブラートを開始するか、また周期(揺れる速さ)は、ある程度までは修正できますが、ロングトーンになるほど自然な補正は困難です。
ビブラートは、振幅や周期を変化させることで、本来なら単調になりがちなロングトーンなどを魅力的に聴かせたり、旋律の大きな流れを演出する上で欠かせません。上手な人は、先述の声量感の強弱と同様、ビブラートを開始するタイミング(あるいは「しない」という判断)、深さ、周期、またその変化に必然性があり、流れを生みます。
逆に必然性のないビブラートは旋律の流れを止め、最悪の場合は曲の世界観を壊します。
以前に編集させていただいたボーカリストで、シャウトはとても魅力的なのに、2、3拍以上の音符になった途端に必ず、曲のテンポと相関のない深~いビブラートを掛けるクセを持つ方がいらっしゃいました。あらゆる現代的なジャンルの曲を「演歌化」させていたのは残念と思わざるをえませんでした。
番外編
編集前のボーカル素材と、製品化の際にどこに手が加えられるかの事例を、これまでに多数見てきました。たまに遭遇するのが「修正可能な範囲だけど、このポイントさえ押えればライブも録音物ぐらい上手に聴こえるんだろうなァ」と思うケースです。
その典型が、音程感は悪くないのだけど、サビ直前など節目節目のロングトーンになると、決まって音程がわずかに下降を始めるパターン。フレーズを歌いきる前に、すでに意識は次に来るフレーズに向けられているものと思われます。
こういう点に気付くきっかけを作るためにもMelodyneなどの編集ツールに歌を取り込んで視覚化する練習法もある程度は効果があるのではないかと思います。(当然、最後は目ではなく耳で判断するべきですが。)
そうそう、音程の下降といえば…音程のマズさと同じぐらい、その変化もまた耳につきやすいものです。先の下降するケースと同様、ロングトーンの頭が少しフラットしたのを演奏で徐々に修正すると、その変化自体が耳につきます。フラットしたまま、自信を持って頭の音程を押し通した方が、案外気付かれることもなく、より説得力を持たせられる場合もあります。収録はもとより、ライブやカラオケでは活用できるテクニックかと思います。
もう1つ、いずれのトピックにも属さなかったTipを。
コーラス・パートを複数重ねるときは、各テイクのアタックおよび末尾のニュアンスを揃える方が、きれいにまとまるように思います。長さは多少ズレても、編集で補正できる場合がほとんどです。
お勧めの練習方法
僭越ながら、一歩踏み込んで「補正可能時代」のボーカリストに求められるポイントを重点的に鍛えるためのトレーニング法を提案します。
- 喉から胸部、できれば頭部までが最も共鳴する音域/音程を探す。
- その音域/音程を中心に、旋律から音程を取り去った状態で歌ってみる。(つまり念仏状態。)子音や張りの強弱、タメなどにのみ注目する。
このとき、最初に決めた音程にこだわる必要はなく若干上下してもかまいません。(身体が最も共鳴し響く音程は、曲の部分部分によって異なるので。)どうすれば一音一音が最大限響くかを声を出して実験します。 - 上記を録音して聴き返し、つまらなければ改善するよう工夫する。
上手な歌は音程という要素を取り去ったあとの、声色の起伏やグルーヴ感だけでも聞かせどころ、また流れを持っているものです。始めから最後まで胸部を響かせるような声色を使う必要はありませんが、 どのぐらい豊かに響く声色をそのフレーズに充てられるかを知ることは、逆に必要以上に声を絞ったりと、その魅力を不要に削ぐことを防ぐ上で役立つと思います。 - 旋律の各部をどう響かせるか、筋道が見えたら音程に乗せてみる。
そうした途端、どうあがいても先ほど理想とした響きが得られない場面が生じたときの選択肢はいくつかあります。
状況が許すならキー変更、あるいは旋律の書き直し。いずれも不可能なら、出せるよう修行するとか…(投げやり)。とにかく、そのフレーズを最大限活かせる理想的な声質のイメージがあるならば、それを犠牲にしてまで収録時に正しい音程を出す必要はない場合がほとんどです。少なくとも現代においては。
演奏の目的がレコーディングである場合、ハイトーンが2、3度及ばないということであれば、その音だけ低く歌ってみてください。
忘れないでいただきたのは、歌に説得力を持たせる上で
- 自然に響かせて2、3度補正した音>>> 越えられない壁 >>> 搾り出して少し補正した音
最後に
さて、補正可能時代のボーカリストに求められるもの。
要約すると、音程にはそこまでこだわらず、旋律に乗せる声色の魅力や響きに注目し、大きな流れを積極的に楽しみましょう、ということになるかも知れません。
筆者の経験則に基づく私見ばかり好き勝手にお話ししましたが、少しでも皆さんの作品作りのお役に立てば幸いです。
最後に一言…
【定期ポスト】ボーカル補正マンとして参加したメジャー・タイトルがいつの間にか700曲を越えていました。 Melodyne Studioの編集速度に定評あり。急ぎの案件、バルク等には強いかと思います。何かの折に思い出していただけたらご相談ください。
— David Shimamoto (@gyokimae) October 13, 2015
m(_ _)m