サンプル・レートについて
別記事「ビット・レートとバス幅」「ビット・レート下げ時の注意点」では、PCMサンプリング時に方眼紙のタテ軸にあたる「ビット・レート」の話を紹介しました。
この項では、ヨコ軸「サンプル・レート」について考察します。
サンプル可能な最大周波数(ナイキスト周波数)
PCM方式では、サンプル・レートのちょうど半分の周波数が、収録可能な最大周波数になります。また、この値を「ナイキスト周波数」といいます。
サンプル・レート44.1kHzで収録されるCDは、その半分の22.05kHzが、理論上収録可能な最大周波数です。
さて、サンプル・レートの半分が収録可能な最大周波数となる、その理由とは一体… 百聞は一見にしかず、右の図をご覧ください。
正弦波の一周期を表現するには、少なくとも2サンプルを使用して上下の往復を描く必要があります。
エイリアス・ノイズ~録音可能以上の周波数
では、ナイキスト周波数以上の周波数もつ信号をA/Dコンバータに入力した場合はどうなるでしょう?
右のグラフをご覧ください。
入力信号が「4サンプルで3往復」しているのに対し、A/Dコンバータのヨコ軸解像度(測定頻度)が低すぎて、信号の動きを正しく追うことができていません。サンプルされた値は、むしろ入力周波数よりも低い「4サンプルで1往復」の波形を描いています。ここでも、元にはない信号がデジタル領域で「捏造」されています。
このように、ナイキスト周波数よりも高い周波数をもつ入力信号は、「エイリアス・ノイズ」と呼ばれる、本来よりも低い周波数の信号を発生させる元となります。
エイリアス・ノイズは、右のグラフのように元の信号がナイキスト周波数を越えた分だけ低い周波数に発生することから、「折り返しノイズ」とも呼ばれます。折り返して0Hzに届いたエイリアス・ノイズは、再び反射するように0Hzとナイキスト周波数の間を折り返し続けます。
実際には、A/Dコンバータにはこのようなエイリアス・ノイズ発生を防止するためのローパス・フィルタが入っており、アナログ信号の録音時にエイリアス・ノイズが問題になることはありません。
しかし、プラグインを使用する場合は、エイリアス・ノイズの取扱いが重要になる場合があります。次節ではこの点を説明します。
高サンプル・レートは必要か?
DAWにて録音や作曲を開始するにあたり、プロジェクトのサンプル・レートをどのように設定するかは悩ましいところです。先ほどのビット・レートとは異なり、サンプル・レートは一旦設定すると後から修正することは困難です。
一般にサンプル・レートが高いほど、原音を損なうことなく高音質のマスターが制作できるといわれますが、代わりに作業時に要求されるPCスペックも飛躍的に向上します。
しかし、最終的な媒体が44.1kHzのCDの場合など、高いサンプル・レートで編集を行うメリットはあるのでしょうか? また、扱うジャンルなど目指すサウンドの傾向によっては、サンプル・レートの違いは無視できるのでしょうか?
結論から先にいいますと、サチュレータ、コンプレッサなど倍音の生じるエフェクトをDAW内で使用する場合、サンプル・レートの設定が大きく影響する可能性があります。
以下、プロジェクトのサンプル・レートによってどのような変化が生じるか、ソノグラムを用いて考察してみます。
まずは、単純なスィープ信号のソノグラムです。サイン波の周波数が、0から22kHzまで徐々に増えているのがわかります。
これに歪み系のエフェクトを加えてみます。
いずれもサンプル・レートの異なるプロジェクトでエフェクトを掛けた信号を書き出したのち、ファイルを44.1kHzに変換したものです。
エフェクトは、すべて同じプリセットを使用しています。
ソノグラムを比較しているファイル自体は、すべて44.1kHzであることにご注目ください。
↓44.1kHzプロジェクトで書き出し
↓88.2kHzプロジェクトで書き出し
↓192kHzプロジェクトで書き出し
いずれも、スィープに倍音が加わり、これらは元音よりも急なカーブで22kHz(ナイキスト周波数)に到達しています。
この倍音が、44.1kHzのプロジェクトで書き出したファイルにおいてはナイキスト周波数でただちに折り返しているのに対し、高レートのプロジェクトではそれほど目立ちません。
ここで生じているエイリアス・ノイズは元音に対して不協和で、アナログ機器では生じないような響きを持ちます。
ロックなど歪みの多い音楽ジャンルの制作において、音のクリーンさは必要ないからサンプル・レートは44.1kHzで十分、との声をよく聞きます。一旦デジタル・レコーダに収録したのち、ミックスはすべてアナログ卓で行う場合はその通りかも知れません。
逆に、DAW内でミックスを完結させる場合、音圧を出すためにと全トラックにサチュレータ系のエフェクト挿入すると、デジタル由来のエイリアス・ノイズを、相当な量付加することになります。DAWで完結させたミックスの音が「デジタル臭い」といわれる原因のひとつかも知れません。
高いサンプル・レートを使用するほど、このような特性は回避できるといえます。
マスタリング・エンジニアの中には、元のトラックのサンプル・レートに関わらず、すべて一旦192kHzのプロジェクトに取り込んでから作業を行うという人もいます。サチュレータなど強い歪み(倍音)を生じるプラグインを2MIXに掛ける場合に、エイリアス・ノイズを最小限に抑え、音の明瞭さを保つ手段として有効であると考えられます。
先の例では、単純な正弦波ですらあれだけのノイズを発生させていました。より複雑な信号を持つ2MIXが受ける影響は計り知れません。
以下に、他の例をいくつか見てみましょう。
Native Instruments Guitar Rig4挿入時(プリセット「Jimi's white pleasure」)
↓44.1kHzプロジェクトで書き出し
↓88.2kHzプロジェクトで書き出し
↓192kHzプロジェクトで書き出し
解説:
ギター用のディストーション・エフェクトの例です。
ノイズも音作りの一部…との解釈は可能ですが、エイリアス・ノイズを加えることは、原音に対して不協和で相関のない信号をデジタル領域で「捏造」する行為です。ギターアンプに求められるようなアナログっぽさとは異なります。
スタンド・アロンのGuitarRigではサンプル・レートを簡単に変更できますので、演奏しながらサンプル・レートによる違いを手軽に聞き比べられるかも知れません。
Cakewalk VX64 (Preset "Sugary Sweet")→IK Multimedia CSR (Preset "Thick Vocal Plate")
↓44.1kHzプロジェクトで書き出し
↓88.2kHzプロジェクトで書き出し
↓192kHzプロジェクトで書き出し
解説:
サチュレータを通した後にリバーブに送るという、ボーカル・トラックでは日常的に使用されるパターンの例です。
リバーブは、いわばディレイの集合ですので、すべての入力信号が尾を引いているのが見えます。エイリアス・ノイズによりデジタル領域で「捏造」された信号も例外ではなく、リバーブが演出する空間に忍び込んでいるのが見られます。
※旧ページには、具体的な測定手順や上記以外の市販プラグインを測定した例があります。
オーバー・サンプリング
PCMの信号を、収録時より高いサンプル・レートに変換することを「オーバー・サンプリング」といいます。(たとえば44.1kHzの信号を88.2kHzや192kHzに変換するなど)
オーディオ・プラグインに関する文脈では、プラグイン内部で一旦高いサンプル・レートに変換する機能を指すことが多いかと思います。
ここでは、プロジェクト自体は44.1kHzで、内部で2倍オーバー・サンプリング(88.2kHzへの変換)を行う歪み系プラグインの動作を考えてみましょう。
これまで見てきたように、取り扱う信号が44.1kHzのままでは、サチュレータなどのプラグインにより付加された倍音がナイキスト周波数を越えた場合、エイリアス・ノイズとなって元の信号に混じってしまいます。
たとえば8kHzのサイン波に周波数の3倍…24kHzの倍音が加わった場合、ナイキスト周波数を2kHz越えた分が鏡像として、元にはない20kHzの信号となって現れます。
代わりに、右図のような工程を経れば、このようなエイリアス・ノイズは軽減できると考えられます。
これはプラグイン内部で行われる処理ですので、プラグイン自体がオーバー・サンプリングの機能を有していることが前提です。UAD2シリーズの一部製品は、暗黙にオーバー・サンプリングを行うよう設計されています。筆者が所有する製品の中では、PSP audioware: MasterComp ("FAT"有効時)、2CAudio: Aetherなどがオーバー・サンプリングの有無を設定できるようになっています。